2017年01月12日

問2・ 「アーメン」ってどんな意味ですか?

この「アーメン」とは、キリスト教会が売り出した「ラーメン」の新製品では勿論ありません。あなたが教会に行かれますと、祈りの最後に「アーメン」と唱えることをお聞きになるでしょう。この言葉はヘブライ語で「真実」という意味を持っています。つまりクリスチャンが神に祈りをささげるとき、最後に「アーメン」と唱え、「今祈った祈りは私の心からの願いです」という意味を込めて唱える言葉なのです。
posted by kbccQandA at 15:30| キリスト教

問3・ 私は信仰心がありませんが、まじめに生きていればいい のではないでしょうか?

確かにまじめに生きるというのは良いことですが、ただ「まじめ」と言われる時、何を基準にして判断するかということです。
また「良心」が有ればそれでいいではないかと聞くこともあります。その場合も「良心」は人によって変わります。例えば、他人の悪口を言うときに良心の呵責を感じる人もいれば、全く感じない人もいます。要するに「まじめさ」「良心」も物差しが人によって違うということです。だからこの違いが時に争いにもなり、自分に自信が持てない不安も出てくるのです。だから客観的な基準が必要になってきます。人類の歴史で、広く深く長く、良い影響を与えてきた基準を見いだすことが求められるのではないでしょうか。聖書はそういう点で時代が変わろうと、思想が変わろうと、人類に不変の正しい基準を提供してきたのではないかと思われますので、ぜひあなたの生き方の参考にしていただければと思います。
posted by kbccQandA at 15:29| キリスト教

問4・宗教は違っても、結局はみな同じ様なことを言うのでは ないでしょうか?

宗教の問題になると次の歌が引き合いに出されます。
「わけ登るふもとの道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」
どんな宗教でも、結局到達するところは同じだと人は言います。
確かに宗教であれば共通している部分があるだろうと思います。
そこで考えたいことは、宗教を判別する中で一体「何からの救い」を強調しているかということです。つまり不幸をもたらす真の原因が何であり、何が幸福と考えているかが問題になります。
ある宗教では、病や貧しさか或いは悪い環境や性格的欠点が不幸の原因だと考えるのですが、聖書ではかえって病も恵に変えられ、人生の逆境も祝福に変えられることを教えています。そ
れでは何が不幸の原因かと言いますと、人間の内に宿っているエゴイズム、自己中心に原因があると教えています。聖書はこの「神と人を無視する自己中心」という生き方のことを「罪」と教えています。現代の忌まわしい暗い事件を見ると、自己中心に拠っていることを認めざるを得ないのではないでしょうか。またこの罪が家族や友人との関係を不幸にするのです。ですから聖書はこの「罪」からの救いを教えているのです。その罪からの救いということになると、ちょうど泥棒が泥棒を救えないのと同様
に、罪人は罪人を救えません。罪のないお方だけが罪人である人間を救いうることになります。そして罪のないお方はイエスキリストしかいないということです。(問16参照)
posted by kbccQandA at 14:31| キリスト教